時事語、話題語、ビジネス・暮らしのことば、日常語に対応する今アメリカなどで使われている英語がみつかります
2009年08月11日
いつ来てもおかしくないと言われていただけに、今朝の静岡の震度6弱の地震には驚いた。
英語のニュースで「地震の大きさ」をいうには、おおむね決まった言い方がある。 「大地震」を表現する場合に、earthquake(あるいはquake)にもっともよく組み合わされるのはたぶんpowerfulだ。 『ニューヨークタイムズ』(電子版)も、今朝の地震を伝える東京発のAP電の速報を掲載していたが、やはり書き出しにpowerful earthquakeを使っていた。
A powerful earthquake with a preliminary magnitude of 6.6 hit Tokyo and nearby areas shortly after dawn Tuesday.
火曜日の早朝、速報値マグニチュード6.6の大きな地震が東京およびその周辺地域を襲った。
今年の4月、イタリアのラキラを襲ったマグニチュード6.3の地震を報じた『ニューヨークタイムズ』の4月7日の記事を大学の授業で学生と一緒に読んだが、この書き出し部分にもpowerful earthquakeが使われていた。
地震の大きさをさらに強調するため most powerful earthquake とすることもある。その他powerfulに代わって、hugeやstrong、big、majorも常連の形容詞だ。
阪神大震災や四川大震災のような激震でも powerfulやhuge, strong, major を用いて表現するが、「破壊的な」という意味の形容詞devastating や「(地殻の)激変の」という意味のcataclysmicを使ってその重大さを強調することも少なくない。
一方「弱い地震」の場合は、私の経験からいえばminorかmildのいずれかがよく使われる。
英語表現ではどのような語をどう組み合わせるかによってナチュラルな英語にも、ネイティブには違和感のある表現にもなる。 「地震の発生」を言う動詞でもおおよそ決まったものがある。
もっとも一般的なのが前述のAP電にあるようにhit。 災害や災いが「襲う」という意味がhitにはある。 strikeもhitと同じ意味でearthquakeと組み合わされる。 「揺さぶる」という意味のshakeとjoltも地震発生のきまった動詞だ。これらは、日本語の発想からは思いつかない言葉だ。それぞれをstroke, shook, jolted, strikeと過去形にして発生した地震を報じる。
次のような感じでstruck, joltedを使う。
A magnitude-5 quake struck a remote area of the southwestern province of Yunnan.(The New York Times 12/1/2003)
南西部の雲南省の遠隔地でマグニチュード5の地震が発生した。
A powerful earthquake jolted southern Iran on Wednesday. (The New York Times 9/11/2008)
水曜日、大規模地震がイラン南部を揺すぶった。
日本語の発想からはすぐに思いうかぶoccur(起こる、発生する)も
A big quake occurred.
などど使われるが、どちらかといえば「動きのある動詞」であるhit, strike, shake, joltをアメリカの新聞やテレビの記者たちは好んで使うようだ。
最後にひとつ、「地震を感じる」というのは日本語の発想と同じfeelを使う。たとえば、
The earthquake was also felt in Tokyo.
地震は東京でも感じられた。
といったあんばいだ。
ところで、今朝の地震で阪神大震災のことを思い出した。95年1月17日、強烈な地震が神戸、芦屋、西宮や淡路島を襲ったときは、私は東京勤めで、千葉の佐倉市に住んでいた。早朝のテレビで大規模な地震が発生したことを知り、妻は神戸の実家に電話をいれたが、つながらなかった。阪神高速道路が倒壊している模様との速報が流れ、被害の深刻さを改めて実感し、ひょっとしたらという思いがよぎり、妻は泣き出した。
幸い妻の実家は倒壊せず、無事だった。 新聞社で英字新聞の編集責任者だった私の方はそれから、連日震災関連のニュース中心の紙面づくりに追われた。
JRの福知山線だか宝塚線経由だかよく覚えていないが、とにかく大阪から遠回りをしてでも神戸には入れるようになると妻はすぐに、水や食料品、カセットコンロなどをリュックに詰め込んで神戸・灘区の実家に向かった。
私も仕事の都合でなかなか東京を離れることができなかったが、少したってから阪神電車が大阪・梅田から神戸・東灘区の青木駅まで運転が再開され、ようやく東灘区に住む妹の家族に見舞い品をとどけるため、神戸に入ることができた。
食料品を買い込むために立ち寄った梅田の阪神百貨店の地下食料品売り場のにぎわいにはとまどった。ニュース写真・映像で見ていた神戸の震災とはまったく無縁とおもえた。平常どおりに物事が動いているように見えた。
しかし、阪神電車の車窓からの光景は阪神甲子園駅をすぎたあたりから、すさまじいものに変わった。線路沿いの民家はほとんど倒壊していた。1階部分がぐしゃりとつぶれ2階が1階になっているマンション、火災で焼失している家屋。ブルーのビニールシートで屋根を覆った倒壊を免れた家々。
あれからもう14年。私は震災の翌年、居を千葉から神戸に移した。現在の神戸の街には震災の跡形はほとんどなくなっている。
(ひきの・たけし)